観智院 / Kanchi-in House


観智院(かんちいん)は、真言宗の勧学院。 いわば、大学の研究室のようなところです。 東寺の三宝(さんぽう)といわれる 頼宝(らいほう)と杲宝(ごうほう)と賢宝(けんぽう)。 杲宝は観智院を創建し、 賢宝は五大虚空蔵菩薩(ごだいこくうぞうぼさつ)を本尊としてお祀りしました。

観智院の公開期間

春期特別公開は、3月20日~ 5月25日
秋期特別公開は、9月20日~11月25日
(会期中は無休です)

真言宗の勧学院、観智院
Kanchi-in, the laboratory of Shingon Buddhism teachings

食堂(じきどう)の北側にある北大門から北総門までの参道は、櫛笥小路(くしげこうじ)といい、平安時代以来そのままの幅で残っている京都市内ただひとつの小路です。
その小路の東側に建つのが、観智院です。
鎌倉時代、後宇多法皇によって東寺の寺僧の住房が計画され、南北朝時代の延文4年、1359年頃に杲宝が創建しました。杲宝の弟子、賢宝は、本尊の五大虚空蔵菩薩を安置しました。
ここで杲宝や賢宝は、東寺に伝わる数多くの文書類を編纂。杲宝や賢宝が集めた密教の聖教類は1万5千件以上あり、その数もさることながら質的水準も高く、わが国における貴重な文化遺産となっています。
江戸時代には、徳川家康の黒印状にあるように真言宗一宗の勧学院と呼ばれました。

―――――――― 客殿 ――――――――

観智院客殿
Reception hall, Kanchi-in House


国宝 観智院客殿 桃山時代(慶長10年/1605年) 入母屋造 銅板葺

国宝の客殿は、江戸時代のはじめ、第10世亮盛(りょうせい)が再建しました。
唐破風(からはふ)付の車寄せや押板(おしいた)形式の床の間といった中世の住宅様式を残しながら、柱の間隔を畳割りで決めるなど、近世の書院造へと移り変わる様子をうかがい知ることができる貴重な建物です。
客殿内部は、上段の間、次の間、羅城の間、暗(あん)の間、使者の間からなり、上段の間には、宮本武蔵筆の「鷲の図」と「竹林の図」が描かれています。

五大の庭(ごだいのにわ)
Godai-no-niwa Garden

客殿の南側に枯山水の庭があります。
客殿の廊下に座り、静かにご覧ください。
弘法大師空海が唐から帰朝するとき、海が荒れ、危うく船が難破しそうになりました。 そのとき、弘法大師空海は、独鈷杵(とっこしょ)という密教法具を海に投げました。 すると海神が現れ、海は鎮まったといわれます。
庭は、その様子を描いています。
さらにもうひとつ、この庭に描かれているのは、智慧(ちえ)の仏さまである五大虚空蔵菩薩(ごだいこくうぞうぼさつ)。
五尊それぞれの梵字が、東側の築山の石に刻まれています。


―――――――― 本堂 ――――――――

智慧(ちえ)の仏、五大虚空蔵菩薩(ごだいこくうぞうぼさつ)
Godaikokuzo-Bosatsu of wisdom


重要文化財 五大虚空蔵菩薩坐像 唐時代 木造

客殿の東側には、観智院の本堂があります。
本尊は、五大虚空蔵菩薩です。
五尊はいずれも蓮の花弁で象(かたど)られた蓮台に結跏趺坐(けっかふざ)し、獅子、象、馬、孔雀、迦楼羅(かるら)という鳥獣の上に鎮座しています。
山科の安祥寺(あんしょうじ)の恵運(えうん)が請来したと伝えられ、学僧の賢宝が安祥寺から移して本尊としました。まさに密教教学の勧学院としての観智院にふさわしい智慧の仏です。

愛染明王の梵名は、ガーラといい、赤い色という意味です。
経典には、人々を招き寄せて煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)の境地に入らせる仏さまと書かれています。
煩悩即菩提とは、煩悩を離れて別に悟りはないという密教の教えです。


愛染明王(あいぜんみょうおう)坐像 江戸時代 木造彩色

―――――――― 茶室 ――――――――

茶室 楓泉観(ふうせんかん)
Tea room, Fuusenkan


本堂の北側に、茶室、楓泉観があります。
本席の床の間にある「楓泉観」という額は、明治時代に山階宮晃親王が揮毫したものです。
この茶室には襖絵が多く、江戸幕府御用絵師の狩野氏信筆の楼閣山水図や、尾張の南画を代表する中林竹洞筆の秋草図があります。

茶室に座り、庭を眺めてください。
露地には鹿威(ししおど)し、石灯籠やつくばいが、季節を彩るつつじ、あじさい、かえでなどの植物とともにレイアウトされ、心を洗われるような空間をつくりあげています。


茶室本席の戸袋、腰襖に描かれた東方朔図